根津神社
 日本武尊が東征の際、勝利祈願のため千駄木の地に須佐之男命を奉ったのが始まりといわれ、 その後江戸時代に徳川綱吉により現在の根津へ社殿が奉建されました。例祭は江戸時代には江戸全町内から山車が出るほどの壮大なものとなり、 山王祭、神田祭とともに江戸三大祭といわれていました。現在ではつつじの名所としても知られ、毎年4月末に開催されるつつじ祭りは年々盛大になり、 近頃はバスツァーも訪れるほどです。また10月には根津・千駄木下町祭りのメイン会場となり沢山の人出で賑わう場所でもあります。 地元の私達は根津の権現様と呼んでいます。
(徒歩15分)



------------------------------------------
※ 管理人からのお願い=神社のことを呼ぶ時は良いのですが、地名の場合は根津のことを“ね”とヅにアクセントをおいて発音しないで下さい。 まるで違う場所のように聞こえます。私達は昔からづ”と呼んでいます。

------------------------------------------


根津神社は近年つつじの名所としても有名になっています。毎年4月中旬からゴールデンウイークまでの間、境内は甘酒・饅頭などを売る茶店も出店、つつじ祭りとして賑わいを見せています。

藪下通り
 観潮楼跡から根津神社方面へ下る小径。鴎外の小説や啄木の日記にもその名は登場しています。当時は本郷・湯島方面から団子坂の菊見へ行く時の近道だったいわれ、いまでも往時の面影を残す場所です。蕎麦の老舗で有名な“やぶ”はここが発祥の地で、地名に因んでその名がついたそうです。
最近この径の傍に、“千駄木ふれあいの杜”と呼ばれる緑地が公開されましたので、一度訪てみてはいかが・・・
(徒歩10分)


観潮楼跡
 森鴎外は通称『猫の家』(鴎外が住み後に夏目漱石が住んで“吾輩は猫である”を書き上げた所)から、明治25年三十歳の時現在の地に移り住みます。団子坂上のこの地からは東京湾の海が見え、鴎外はここを「観潮楼」と名付けました。当時の建物はその後焼失しましたが、昭和三十七年に区立鴎外記念本郷図書館として蘇り、館内の記念室では、遺品・ゆかりの品が展示されています。
管理人も子供の頃この前のガケの上から、両国の花火を見た記憶があります(月曜日休館)
(徒歩9分)


団子坂
 坂の近くに団子屋があったとも、悪路のために転ぶと団子のようになったとも言われていますが、別名潮見坂・千駄木坂とも呼ばれていました。この坂には江戸時代の末(安政三年=1856年)から菊人形の見せ物小屋がかかるようになり、秋の江戸名物として有名になり明治四十年頃に最盛期を迎えました。 二葉亭四迷の小説「浮雲」第二編(明治21・1888年)の中でも、団子坂の菊人形の賑わいを紹介しています。
(徒歩7分)


へび道
 よみせ通りをぬけ、三崎坂の下から根津方面へクネクネとまるでヘビの様に折れ曲がった道が続いています。この道は、北区滝野川付近から流れ出し、霜降橋、谷田橋を通り不忍池へそそいでいた“藍染川”が暗渠となったもので、その上に霜降銀座、よみせ通りなどの商店街も形成されています。藍染川は別名谷田川、更には逢初川などとロマンチックな名前でも呼ばれていました。
(徒歩8分)


須藤公園
 大聖寺藩主松平備後守の屋敷であったところで、明治以降は品川弥二郎から、須藤吉右衛門邸となり、その頃現在の形に改築されたそうです。その後東京市をへて現在は文京区が管理し、一般に公開されています。
(徒歩5分)


半床庵
 久田流茶家第四世の宗也が建立したお茶室。建築年代は宝永2年(1705)ごろから寛保4年(1744)の間であろうと考えられ、大正10年現在の土地に移築されています。この茶室は別名を「天の川席」と称し、“都内に遺存する名席の一つとして学術的価値の高いものである。”だそうです。
(徒歩3分)
 



マップA   マップB   マップC   マップD    周辺 B  周辺メニュー  ホーム